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45. 失敗写真とは? [写真表現]

 
 
 
「失敗写真」って、なんだろ? 
 
…ちゃんと撮れてない写真のことかな。
 
 
 
 
  
そんなら、ちゃんと撮れてない写真、ってなに?
 
 
 
 
 
ピンボケだったり顔や頭が切れてたりヘンな顔してたり…
 
画面がちょっと傾いてるだけで、細かいヤツだと
 
 
 
「ちゃんと撮れてヘン!」
 
 
 
もういっぺん撮り直す人もいる。
 
 
 
 
 
けどそれホンマに失敗作?
 
失敗と思っても、ほかの人から見たらおもしろい写真ってあるよね。
 
 
 
 
 
知らん間に「写真はこうじゃなくちゃいけない」
 
無意識に、自分でそう決めてしまってないかな。
 
 
 
 
 
 
 
誰だって、きたないものより、きれいなもののほうがいい。
 
それは写真も、おなじこと。
 
だけど、世の中にはきれいなものも、きたないものもある。
 
むしろ、
 
きれいなだけのもの、というのは、世の中にあまりない。
 
 
 
 
 
きれいだけど、ちょっとごつごつしてたり
 
がさがさしてるけど、ちょっときれいだったり
 
いろんなものが、混じってる
 
見る人によって、見え方が変わる。
 
 
 
 
 
 
 
写真は、撮った人が見た世界を表しているんだね。
 
 
 
 
 
撮った時の自分の視点に、自分が気付いてないと
 
写真を選ぶ時に、見過ごしてしまうことがある。
 
 
 
 
 
 
 
「写真を撮りたいけど、なんだかそんな気分じゃないなあ」
 
 
 
そんなときは、もう一度、今まで撮った写真を見てみるといいよ。
 
きっと、おもしろい写真が埋もれてる。
 
 
 
 
 
しばらく経ってから見てみると、写真の見え方が変わってくる…
 
 
 
 
 
これも、立派な写真の楽しみ方。
 
 
 
 
 
そう考えたら失敗写真なんて、世の中に存在せえへんような気がしない?
 
 
 
 
 
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43. 共通言語はプリントトーン。 [写真表現]

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言葉を介さない写真の共通言語は、プリントトーン。
 
 
 
音楽に「歌詞」と「曲」があるように
写真にも「被写体」のほかに、もうひとつ見えているものがあります。
それが、プリントトーン。
 
写真を見るとき、私たちは「写っている被写体」を見ながら
同時にプリントトーンも見て感じています。
 
これがどんな効果をもたらすのか、以下の例を想像してみてください。
 
演歌の女王が歌う歌と、カラオケの上手な人の歌。
こぶしのきかせかたや音の外しかたが、ちょっぴりちがいます。
プロは隠そうとしますが、素人は技巧(テクニック)を見せようとします。
 
あるいは、ベテラン俳優の演技と、舞台経験の浅い人の演技。
舞台上で「伝わってない」と感じると、どんどん一所懸命になります。
客席には「あの人、必死に演技してるなあ…」が伝わります。
 
 
 
 
 
私が思う「イイカンジの写真」とは
今、まさに、そこにあるような気持ちになる写真。
あたかも自分がその場所に立って、
その光景を見ているかのように感じられる写真…
 
ここに来るまで、たくさんの試行錯誤がありました。
やっとモノクロ写真に辿り着いても
陥りやすいポイントに、すっぽりはまってしまったり。
 
白を冴え、黒を締めるプリント
 
これが全部悪いわけじゃ、ありません。
でも時にそれが有害になる…
作者と見る側との「伝わりかた」に差が出てしまう。
たしかに一見すごく「カッコイイ」んだけど
カッコ良さが先にあって、イイカンジが奥のほうに行ってしまう。
 
何枚もの写真が全部均一なトーンのプリント
 
これも、直ちに全部悪いわけじゃあないです。
自分が惹かれる被写体は似ていて、結果的にトーンが揃うことはあります。
それはとても見事で「キレイ」なんだけど
キレイが先にあってしまって、やっぱりイイカンジが奥に隠れてしまう。
 
 
 
見せたいのは、伝えたいのは、いったいなんでしょう。
 
「私こんなに上手に歌を歌えるのよ」「僕こんなカッコイイ演技できますよ」
そんなことを考えながら、歌手や俳優の人は、表現していませんよね。
あいまいな言葉で申しわけありませんが、
伝わってくるのは「想い」とかじゃないでしょうか。
 
 
 
ここでひとつ大切なのは
伝えたいことを伝えようとする場合、相手に感じてもらう必要があるということです。
 
ことばで「こういうふうに受け取ってほしい」と理屈で言っても
頭ではわかっていても、なかなかそのように受け取ることはできません。
それはなぜか。
「感じてない」からです。
 
もし、相手が感じ取ることができれば、
あなたの伝えたいことは、相手が自然に受け取ってくれます。
 
 
 
伝えたいことは、伝わるように相手に届ける…
表現手段が写真である私の場合、
写真を撮ったその現場の空気感を見る側に追体験してもらうことで
気分を共有し、それで自然に伝わっていくことを意図しています。
そのための仕組みや仕掛けとして
被写体や光線の選択や
構図や露出やシャッターチャンス…
それと同じくらい、再現時のトーンの選択には注意を払います。
 
一見なんでもなく見えてくれないと
見る側は、その写真の世界に、すっと入ることができないんです。
先にカッコイイとかキレイとかがあると
いつまでもその見方にとらわれてしまい
その先に行くことなく、見るのをやめてしまう。
それだけならまだしも
そうした写真は、記憶からもすぐに消えてしまう。
 
 
 
もちろん世の中には、
とてつもなくカッコ良かったり、めっちゃキレイだったりするものがあり
そういう写真も、たくさん存在します。
 
だけど私は、そういう写真はあまり好んで撮りたくない。
日常の中からカッコイイやキレイだけを探し求めるのもいいけれど
実はふだんの日常をキラキラさせているのは「イイカンジ」ではないだろうか…
まいにち、すごくカッコイイや、すごいキレイに出会うことは少ないけれど
すごくイイカンジは、けっこう、ある。
被写体を探すなら、イイカンジを探そう…これが今の私の、行き着いた先です。
 
 
 
 
 
もう、プロであるかアマであるか、どっちだっていい。
写真家であるかどうかさえ、どうだっていいんです。
私は、私のイイカンジ♪レーダーに従って、イイカンジを採集、記録していく。
そこにどのような価値があるのか
なんの目的があるのか
それは自分じゃわからないことだし、自分が決めることじゃないと思っています。
 
40日が過ぎました。
 
 
(2011年4月22日 高円寺事務所にて)
 
 
 
 
 
110417115144R0061445.jpg
 
 
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110417121227R0061474.jpg
 
2011.4.17 11:40:11, 11:51:44, 12:03:34, 12:12:27 Nakano〜Koenji GRD3
 
 
 
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40.プリントトーン決定法 [写真表現]

モノクロのトーンを変えました。
「元に戻った」と言ったほうが良いかもしれません。

 
 
これまでずっと「昔の味」を守ってるつもりだったんですが、
いつの間にか、少しずつ濃いめになっていたことに気付きました。
 
 
結論から先に言うと
黒がどれだけ薄くても成立するか、で行きます。
 
 
ベタ黒にツブレた黒は、たしかにすごくインパクトがあります。
けれどそれは、ただのインパクトにすぎません。
実際そこには、何かが見えてたはずで、プリント時に操作しています。
 
 
もちろん、プリント時に操作すること自体が悪いことではありません。
ただ、それを「見た感じとは異なる」と、はっきり意識しているかどうか
それが大事なんだと思います。
 
 
他を引き立てるための黒。
しかし、その黒は、それで終わってしまっている。
なんだかもったいない。少しかわいそうに感じる黒。
 
 
ギリギリまで明るくしていくと、ハイライト部分が危なくなってきます。
ハイライトが飛ばないギリのところで決めてしまうやり方は簡単ですが
これを、黒が輝きを失うギリのところで決めてしまう方法に変更しました。
ハイライトが危なければ少し焼き込めばOK。
シャドーが危なければ少し焼き込めばOK。
 
 
暗室作業経験の有無が、フォトショップの作業にも出てきます。
フィルター1〜2で焼いたあと、0で足したり3で足したり…
それぞれ「ハイライトに乗せる」「シャドーを締める」
その感覚が、まんまフォトショップにもあります。
 
 
有名演歌歌手の歌と、歌の上手な人がカラオケで真似て歌う歌
どちらも同じようなはずなのに、前者のほうが気持ちイイ…
それは、本物に触れているからだと思います。
 
 
ネットや写真集ばかりで「写真を知っている」気になっていると
ある程度までは行きますが、そこから先はなかなか難しい。
反対に、ナマのプリントに触れる機会の多い人は、そこは
あっさりクリアして先に進んでいきます。
 
 
「わかっている」と「できる」…この違いって、おもしろいですね。
 
 
 
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39. それを言っちゃ… [写真表現]

 
 
 
よく言うことですが
 
「走れメロス」のラストシーンで感極まった主人公が
 
「いやぁぁぁ、友情ってホント、いいもんだなあ!大事にしないとなあ!」
 
と言ってしまったら、どうでしょう?
 
 
 
 
 
それ伝えるために、このお芝居があるんじゃなかったっけ?
 
だから必死で走ったんだよね?
 
なのに最後、テーマを言っちゃっていいの?
 
それは「感じてもらう」んじゃないの?
 
 
 
 
 
思わず「オレの2時間を返せ〜」って言いたくなります。
 
 
 
 
 
 
 
写真も同じこと。
 
近年「ちゃんと伝わってるか」コミュニケーションに不安な人が増え
 
写真と文章の組み合わせで何か伝えることも多くなりました。
 
 
 
 
 
だけど実は写真だけでも、いろんなことやものが伝わったり想像喚起できちゃう。
 
そういう「写真の力」を知らない人が、まだ多い。
 
あるいはご自身でやっているのに、自身の写真の力を信用していない…
 
そんな状況を見ることがあります。
 
 
 
 
 
イラストや挿絵のように使われる写真。
 
CDジャケットや絵はがき、ポスターやカレンダーのような写真。
 
 
 
それらは見慣れていて、とても安心できます。
 
 
 
 
 
そういう写真を見ると、ああ、うまい写真だなあ…
 
そういう写真を撮る人を、ああ、この人は写真が上手だなあ…
 
評価に狂いなく、ほぼ全員から同様の感想が届きます。
 
 
 
 
 
あなたはマイスターになりました。
 
 
 
 
 
ところで、あなたらしい、
 
あなたの視線が感じられる写真って
 
どんなですか?
 
 
 
いや、言葉による補整は要らないから
 
写真だけ見せて下さいよ。
 
 
 
それとも「写真+文」のマイスターさん、ですか?
 
 
 
 
 
 
 
かつて流行った、かつて評価された写真の流儀を守り
 
「写真はこうでなくちゃ」と決めてかかってると
 
何を見ても同じようにうまく撮れるようになって
 
そのうち自分の写真に飽きちゃいますよ。
 
同じような写真が氾濫してるの、もううすうす気付いてるでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
一度自分のスタイルができてしまうと、なかなか壊しにくい。
 
けれど壊してこそ、自分の知らない自分が見えてくる。
 
それを壊すのは、自分しか居ません。
 

 
 
 
 
 
 
 
100816054903IMG_5720.jpg
 
 
 
なぜ撮ったのか、作者は何を言いたいのか…
 
一所懸命考えても何も見えてきません。
 
むしろ考えれば考えるほど見えなくなってしまう
 
そういう写真も存在するんです。
 
 
 
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38. 誰に何を伝える? [写真表現]

 
 
 
 
「物語から共感へ」 
 
 
最近のキーワードになってるみたいで、各方面で目にします。
 
 
 
 
 
以前は、物語を提示すれば済んだことが、
 
架空の物語より現実のほうが
 
「ナンデモアリ」になってしまった現代では
 
共感できるかどうかが、ひとつのカギみたい。
 
 
 
 
 
共感してもらうためには、伝えなければいけません。
 
・「これこれこんなことがあって、こう思ったんです共感して下さい」
 
・「こんなことがあって、こんなふうに思いました」
 
・「こんなふうに思いました。それはこんなことがあったからです」
 
・「こんなことがあったんですよー」
 
 
 
 
 
さきほど「伝えなくてはいけません」と書きましたが
 
正確には「伝わらなくてはいけません」です。
 
 
 
 
 
上の例では、どれも同じ内容について書かれているとします。
 
これらの違いは、なんでしょうか。
 
僕は、作者のスタンスだと思います。
 
 
 
想像してみてください。
 
上の例で、もし、とても悔しいことがあって書き込んだとしたら。
 
思いをぶつける書き込みをすれば、何が伝わるでしょうか。
 
よほど悔しいんだなあ…、ということが伝わりますよね。
 
 
 
 
  
それでは、書き込んだ時の目的は、それで達成されているでしょうか。
 
もしかすると、わかってほしい…そう思ったんではありませんか?
 
 
 
 
 
あなたが悔しがるのも、もっともなことだ…
 
そんな共感を求めるなら、悔しさや怒りにまかせて書き殴るのは、
 
あまりうまい伝え方ではないような気がします。
 
 
 
 
 
子供が駄々をこねたり癇癪を起こすのは
 
「わかってほしい!」の表れです。
 
しかし自分の感情をストレートにぶつけても
 
相手は共感してくれません。
 
 
 
 
 
上記の例で言えば
 
「悔しかったんだねえ」「こんな子をつらい気持ちにさせて」
 
という同情は得られても、
 
「私もそう思うよ」「そりゃ当然だよ間違ってないよ」
 
という共感までには到りません。
 
 
 
 
 
感情をそのまま吐き出せば、別のものが伝わりやすい
 
伝えようとする場合は、少し意識しておくと良いかもしれません。
 
 
 
 
 
受け手の立場になれば簡単にわかることなのに
 
いざ発信側に立つと、あれこれ考えてしまう…
 
けれども、コミュニケーションはキャッチボール。
 
どんなに上手に球を受け取ることができても
 
その球を相手に投げ返すことが大切。
 
 
 
 
 
上手にできるようになると、キャッチボールが楽しくなります。
 
キャッチボールが下手だからやらない、楽しくないと言う人は
 
兄弟や親しい友人などの身近な人と
 
練習のつもりでやってみたらいいでしょう。
 
 
 
 
 
人は一人じゃ生きてられないんだし
 
いつまでも「キャッチボール苦手」って言ってないで
 
少しずつ少しずつやってみたらいい。
 
下手でも笑われない相手を見つけて練習するうちに
 
いつしか楽しみを発見していることでしょう。
 
 
 
 
 
コミュニケーションキャッチボールは
 
もちろん、言葉だけじゃありません。
 
絵や図や写真だって、じゅうぶんできます。
 
 
 
 
 
写真を載せるとき、どんなことを考えるでしょう。
 
 
 
 
 
写真をセレクトして、文章やタイトルを考えて…
 
見せる仕掛けを考えている間に
 
人にどう見えどう感じられるかを
 
シミュレーションしているはずです。
 
時にほとんど何も考えず
 
「なんかこの写真をどーんと出したいっ!!」
 
そう思う時もありますが
 
それはそれでまた、考えてないようで
 
無意識のうちにイロエロ考えてたりするもの。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたは、誰に何が伝わったらいいな…と思っていますか?
 
 
 
 
 
 

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37. ウマイだけの写真に飽きたら… [写真表現]

 
 
100816231330cR0053102.jpg

 
 
 
 
 
 
ウマイとイイカンジはちがう。
 
 
 
 
 
例えば上の写真、ウマイかどうか、イイカンジかどうかはともかく
 
どっちかと言うと、キレイとかウマイとかに近い。
 
これは自分の考え方に過ぎないんですが、
 
どれだけ崩すか、あるいはどれだけ崩れちゃったをそのままにするか
 
だと思うんです。
 
 
 
 
 
ウマイ写真で何が伝わるか。
 
イイカンジの写真で何が伝わるか。
 
 
 
 
 
「うまいなあ(上手い、巧い)」と「イイカンジだなあ」だったら
 
僕は圧倒的に後者であり続けたいと思っています。
 
 
 
 
 
バリッとキメて「おおーっ」と言わせたい…そんな気持ちをぐっと抑えて
 
「あっ、こりゃあ決まりすぎたな…ボツだよ、ボツ!!」
 
そのスタンスであり続けたいと思います。
 
 
 
 
 
だいいち、キメキメで撮ってたら、写真に飽きちゃいますよ。
 
自分自身も、その写真を見る人も。
 
 
 
 
 
 
 
 
あ。コンテストで入賞を狙ったり、人から評価されるために写真を撮りたい…
 
そう考えるなら別ですよ?
 
 
 
 
 
そういった「競技写真」として写真を撮ることも、まったく自由ですよね。
 
 
 
 
 
写真は、撮りたい時に、撮りたいものを、撮りたいように撮ればいいんですから。
 
 
 
 
 
 
ただひとつ考えてほしいのは、誰のために撮っているのか。
 
 
 
 
僕は、自分のために写真を撮り続けていたいです。
 
 

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36. 伝える と 伝わる の関係 [写真表現]

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伝える と 伝わる の関係
 
 
 
 
 
自分が思ったとおり相手に伝わるかというと、そうでもない。
 
見る人(文章の場合は読む人)は、
 
思い思い好き勝手に感じちゃう。
 
 
 
 
おもしろいよね。
 
 
 
 
 
これをおもしろいと感じると いいんだけど
 
不安になっちゃうと
 
ちゃんとうまく伝わりますように、って
 
もっともっといろんなことを考えて
 
自分の考えてたとおり相手に伝わるように
 
イロエロくふうしちゃう。
 
 
 
 
 
でもね、
 
それって、説明しすぎちゃって
 
見る人が感じる前に、
 
強制的に「わからされ」ちゃうことが多い。
 
ハートや肌で感じたいのに、
 
「これこれこうです」って
 
頭に送り込まれちゃう。
 
 
 
 
 
ちょっと想像してみて。
 
 
 
コンビ漫才の終わりの部分で
 
 
 
「もうええわ!…どもありがとうございましたぁ!」
 
 
 

 
 
 
「もうええわ!…というネタがあるんですけど面白いと思いませんか?」
 
 
 
だったら。
 
 
 
笑うタイミングが無くなって、
 
なんだか消化不良の気持ちになっちゃいそう。
 
 
 
 
 
頭じゃなくて、ハートや肌で感じる感覚って
 
たとえば
 
「もうじき雨が降りそうな予感」
 
というのと、少し似てる気がします。
 
 
 
最近は便利になって、
 
パソコンでも携帯電話でも、
 
いつでも好きなときに好きなエリアの
 
ピンポイント天気予報が手軽に手に入るから
 
そんな感覚、
 
生活していく上で、ちっとも必要じゃないかもしれない。
 
 
  
だけど、
 
とても大事な感覚なんじゃないかなあ
 
と思うんです。
 
 
 
 
 
伝わること と
 
伝えること とは、
 
感じること と
 
すごく関係ありそう。
 
 
 
 
 
それじゃあ、
 
どうすればそういう感覚が身に付いていくんだろう。
 
 
 
 
 
思うんですが、
 
センスとか才能って誰でも持ってると思うんです。
 
農作業のおじさんだって
 
漁師の青年だって
 
どんな仕事に就いてる、どんな人でも
 
センスや才能は、ある。
 
 
 
そうして、なにかひとつ
 
自分のものさしを持ってしまえば
 
それをそのまま持ち込むだけで、
 
すべてが、わかる。
 
…この場合の わかる は、感じて伝わる という意味です。
 
 
 
 
 
自分のアンテナが立てば、
 
送受信は簡単にできちゃう。
 
イイカンジ か そうでないか
 
それだけでいい。
 
よりイイカンジをめざしていけば
 
なんだってわかっちゃう。
 
…この場合の わかる は …って、もういいですよね。
 
 
 
 
 
感性のアンテナを錆び付かせないようにする
 
ひとつの方法として
 
ふりかえり があります。
 
だけど
 
自分で自分をふりかえっても、なかなか姿が見えにくい。
 
 
 
そんなときは、他の人のふりかえった様子を見てみます。
 
 
 
「うわぁ」とか「へえー」とか「ううむ…」とか
 
出会ったこと と、それに対して 感じたこと
 
いくつも発見があった様子が載っています。
 
 
 
 
 
ブログを読んでいて、面白いことに
 
他人が出会って感じたことがらを 見たり読んだりするうち
 
あたかも 自分もそのような体験をしたかのように感じられる
 
そういう 追体験 ができるものがあるんです。
 
 
 
それどころか、
 
その書き手さんとは一面識もないのに
 
なんだかこんな感じの人じゃないかなあ、って
 
イメージが想像できちゃったりする。
 
 
 
 
 
これって、すごいことだよね。
 
 
 
 
 
たぶんその人は
 
「私はこんな感じの人です」って伝わったらいいなあ…
 
…なんてことは、いっさい考えてないと思う。
 
なのに、その人っぽい と感じられる何かが
 
文や写真から感じられる。
 
 
 
 
 
そこに何かがあるから、伝わったんだよね。
 
不思議だけど、おもしろいよね!
 
 
 
 
 
表現 って、ひとりでもできるけど
 
相手がいると、たのしい。
 
反応してくれると、もっとたのしい。
 
 
 
 
 
思ってもなかったことまで伝わってしまうと
 
ちょっぴり恥ずかしかったりするけど
 
やっぱりうれしいし、たのしいよね。
 
 
 
 
 
そういうの、イイカンジ♪ って僕は思います。
 
 

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32. 標準レンズを使ってみよう。 [写真表現]

 
レンズの焦点距離による画角と、体感する視角との違いについて。
 
 
 
ひとつ前のエントリにあるように、50mmレンズを付けて街を歩いてみました。
たとえば、こんな感じで違います。
 
 
100408195952sR0049338.jpg
RICOH GRDigital3 (28mm相当) 

 
 
 
 
100408195953sIMG_0298.jpg
EOS 5D2, EF50mm 

 
 
 
 
100408180051sIMG_0300.jpg
EOS 5D2, EF mm 

 
 
 
 
 
 
単焦点レンズを持ち歩いた人ならわかると思いますが、
カメラを持って歩いていると、レンズの画角に自分の目が近くなります。
 
立ち止まってカメラを構えると、
その時点で自分が見ていた感じに近い状態になっています。
 
 
最初からズームレンズを持ち歩いてしまうと、この感覚が身に付きにくいので
撮りたい!と感じてからズームしたり引いたり、迷うことになります。
 
カメラを構えたまま前後に動いたりする人…いませんか。
画角が身に付いていると、さっと取り出しサッと構えてそのまま撮れるようになります。 
 
 
 
 
写真学校が50mmから始める理由は、まさにここです。
ズームレンズを持ってくると「アロンアルファで止めるぞ!」って言われます。 
 
 
 
 
接着剤は少しやりすぎですが、この方法を試してみる価値は大いにあります。
 
単焦点レンズを持ってない人はズームレンズの50mm相当をテープで留めます。
この状態で撮影に出てみると、自分の感覚が試されて面白いですよ。
 
最初は思ってた範囲と全然違って右往左往しますが(左右じゃなく前後ですね)
不思議なことに、そのうち慣れてくるのが、自分でもわかるでしょう。
 
  
注意 
カメラのボディーによっては(正確にはセンサーサイズによっては)
カメラのレンズに「50mm」と書いてあっても、50mm相当の画角じゃなかったりします。
1.3倍とか1.6倍とか言う換算をして標準50mm相当で使ってみて下さい。 
 
 
 
 
 
 
ところで、3枚目の写真は、何ミリで撮ったと思いますか。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
これも同じ 50mmレンズなんです。
 
 
 
少し近寄って、少ししゃがんで撮りました。
 
標準レンズって望遠ぽかったり広角ぽかったり、面白いですね。

これ1本あると面白いですよ。
 
 
100408180051IMG_0300.jpg
 
 
 
 

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30. うまい写真の、その先に。 [写真表現]

 IMG0002_606.jpg
 
 
 
「写真がうまくなりたい」と言う人がいます。
そのためにカメラは何を買えば良いか、誰に教えてもらったらいいか
教室もメーカー主催や地域団体始めたくさんあります。
 
 
私は、カメラはなんだっていい。ただそのカメラで毎日、一枚以上お撮りなさい
それをしばらく続ければ、きっとうまくなります、そう言います。
何か教科書みたいなものが欲しい、という人には、
あなたのカメラの取扱説明書を全部読みましたか?と聞きます。
わからない部分に印を付けて、自分で調べるか持ってらっしゃい、と言います。
 
 
 
IMG0020_606.jpg
 
 
 
人に合うカメラが、自分にも合うカメラかどうかは、わかりません。
撮る内容や撮る姿勢は、人それぞれ異なるからです。
同様に、誰にも役立つ便利な教科書的な本は、ありません。
 
もしそう書いてある本があれば、それはあなたの知識として役立つかもしれませんが
実際の撮影で、本に書いてあることが応用できるかは、わかりません。
なぜなら本には「こういう場合、こうするといいですよ」と書いてあるだけで
あなたはそれに納得したに過ぎないからです。
 
 
むしろそれより毎日撮ること。撮って、見返して、人に見せて、また撮る…
この繰り返しをしていれば、あなたの写真はかならずうまくなります。
 
 
 
 
IMG0005_606.jpg 
 
 
 
IMG0032_606.jpg
 
 
 
 
さて、撮り続けていれば多くの人に「うまいですね」と言われるような写真が撮れるようになります。
 
問題は、ここから。
 
どんな条件下でも、「ここはこう撮れば成立する」と瞬時に判断が付くようになった、あなた。
しかし、それと同時に、この段階でたいへん大切なものを忘れてしまう人も増えてきます。
 
 
自分らしい写真。あなたの個性が出た、あなたらしい写真。
うまい写真になると同時に、個性やイイカンジが引っ込んでしまって
うまさやかっこよさで成立させてしまう作者不在の写真。
 
 
この段階で、次を目指さないと、あなたは写真に飽きてしまいます。
撮るのも見るのも、飽きてしまう。
「わぁーきれいな写真」「かっこいい写真ですね−」
そんな写真、ちょっと撮れば誰だって撮れるようになりますってば本当に。
今のカメラって、すごく良くできてますから。
 
 
 
せっかくなら
「わー、キレイー」と言われるより「むむ、ウツクシイ…」
「うまい写真ー」と言われるより「なんかイイカンジ…」
そういう写真をめざしませんか。
 
自分の見た感じそのまま撮れるようになると、とても楽しいですよ。 
 
 
 
 
IMG0012_606.jpg
 
 
 
これらの写真は、20〜25年前に小笠原諸島・父島で撮った写真です。年一度、自戒のために載せています。
 
 
 
あ、小笠原いいですよー。写真は皆フィルムで撮った写真ですが、ホントこんな感じです。
船で25時間。海外旅行よりまだ遠い場所。特に「弱ってるな」と感じた人は思いきって行ってみてください。
良いところです。
 
 
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29. ♪きまりすぎ [写真表現]

 
 
 
「きまりすぎ」
 
 
あなたの写真
とてもきれいなのに
私の心に響いて来ないの
なぜかしら
 
 
一瞬で作る見事な構図
あなたのワザにみんなウットリ
すごいわねえ ステキよねえ
だけど私は 感じない
気持ちよくなれないの
 
 
 
あなたの写真
とてもうまいのに
私の心に響いて来ないの
なぜかしら
 
 
抜群のシャッターチャンス
あなたのテクにみんなホレボレ
すごいわねえ ステキよねえ
だけど私は 感じない
気持ちよくなれないの
 
 
 
色がきれいすぎ 構図決まりすぎ
シャッターチャンスがきまりすぎ
まりすぎまりすぎ きまりすぎ
 
 
これじゃホントに見たままなのに
「ウソみたい~」って
言われちゃうよ見えちゃうよ
 
 
これじゃホントに感じたままなのに
「作ったみたい~」って
言われちゃうよ見えちゃうよ
 
 
撮った時は(ヤッター)と思ったけれど
写真見て(キマッター)と思ったけれど
そんなのちっともラッキーじゃない
きまりすぎたね
惜しかったんだね
 
 
 
 
きまりすぎたね残念(残念)
きまりすぎたね残念(残念)
 
 
もっとあなたを (あなたを)
あなたの視線を (視線を)
どうぞ私に下さいな
 
 
 

  
あなたの写真
いつかどこかで見た
誰かの写真みたいに思えてしまう
なぜかしら
 
 
私は感じたいの
あなたの本当の気持ち  
 
 
 
 
©2005 itokaz  JPSRAC approved.
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