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20. あなたらしい写真を撮るために [写真表現]

何ができるか…と考えたとき
こういうこと書いてる人もいるよ、って程度で
ネットの隅に残ってればいいかなぁと思ったわけです。
 
 
ほんとうに撮りたいものを撮りたいように撮っていない
本当はもっと自分らしい写真が撮れそうなものなのに
いろんな事情で、それができていない…
 
 
今の世の中、ケータイやメールが発達して
コミュニケーション環境は格段に良くなりました。
ですが、それじゃコミュニケーション能力は上達してるのでしょうか。
 
 
 
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私は、写真もコミュニケーションだと思います。
 
 
写真を撮るとき、被写体とのコミュニケーションは欠かせません。
 
実際に言葉を発しなくても、対象がネコや風景であっても、気持ちをやり取りする 
そして撮る。
今度はその写真を公開し、写真を見た人とのコミュニケーションが始まる。
ソネットで言えばnice!やコメント。けれどそれだけじゃないでしょう。
何も書かない人でも、なにかを感じたかもしれません。
 
 
 
ある人の写真をしばらく見続けると、その人が想像できてしまうことがあります。
一度も会ったことのない人なのに、なんだか優しそうだとか繊細そうだとか
ときには年齢性別だけでなく、背格好や声のトーンまでイメージできてしまう…
これは、なぜでしょう。
 
 
画面に写っている被写体以外のものが、写真には写っているからです。
この部分が絵画と異なる、写真独自の特徴と言われています。
 
 
写真に写っているものが人物であれ植物や風景であったとしても、
その写真を撮るときの、撮影者のまなざしが写真に写ってきます。
眼前の光景に何かを感じ、はっとして立ち止まり、カメラを構えて撮る
ここで写真が捉えているのは眼前の光景のみならず、撮影者のまなざしです。
 
 
 
写真を見る人は、光景を見ると同時にこの写真を撮った撮影者のまなざしも感じます。
そうすることで撮影者の気分を共有し、あたかも自分が被写体と対峙しているかのような
撮影者の気分を追体験することができるのです。
 

 
 
 
 
しかし日常、身の回りにあふれている写真はどうでしょうか。
 
それらは、ある目的を持って撮影された、作られた写真がほとんどです。
あるいは撮影時には純粋に心動かされた写真として撮られた写真でも
使われ方によっては、写真を見る人に特定の見方をゆるやかに強要します。
 
 
見出し言葉が入り、文章が入ることで、写真を見る人に意図が伝わりやすくなります。
「私はこういうことが伝えたくて、この写真をここに並べているのです」
という作者の意図が、文字を入れることで実に明快に伝わってくるようになります。
それを読んで、見る側は安心します。
 
 
ですが、これは写真を見ているのではありません。文字通り「写真を読んでいる」わけです。
 
 
多くの広告写真の場合、撮影者のまなざしは薄められ、消されます。
「見る人に、いろんなふうに感じてほしい」…これでは広告写真は成立しません。
なにも広告写真が悪いんじゃなく、広告写真とは、そういうものなのです。
 
 
 
 
 
しかし世の中には、もっと別の種類の写真もあります。
プロが撮ったアイドルの写真と、アイドルが好きなファンが出口で撮った写真。
構図もピントも表情も、プロの写真には、かないません。
でも、ひとつだけプロがかなわない部分があるんです。
 
 
 
事務所の許可を得て、取材として撮影された写真。
一方で、何時間も出待ちをしているファンが、一瞬見えたアイドルを撮った写真。
画面中央に誰だかわかんないくらい小さくて、おまけにピンぼけ写真。
この写真のいったいどこが、プロの撮った写真に勝ってると言うんでしょうか。
 
答は、すぐには書きません。どうか想像してみてください。
 
 
 
 
 
世の中には、うまい写真のほかにもう一つ、「イイカンジの写真」があると思うんです。
 
 
写真を始めた頃は、「あ、いいカンジ!」と思って写真を撮っていたでしょう。
それがだんだん「もっと写真がうまくなりたい。上手に撮れるようになりたい」と
写真の勉強を始めるようになります。ほかの人の写真を見るようになって、
「こういう時はこうすればいいんだ」と気付くようになります。
写真のテクニックの引き出しが、だんだん増えていきます。
 
 
あるいは写真教室に通うようになるかもしれません。
新聞社のカメラマンを定年退職した年輩の講師や
自分のスタジオを作ったけど仕事が減ってレディス教室やってみるか、とか
ともかくいろんな「写真の達人」が教壇に立って言うことには
 
 
「画面中心に入れるとシロウトぽいから少し中心からずらすといいですよ」
 
「主題と背景を意識して、構成は前景・中景・遠景の三段階を考えて」
 
「画面対角線を1:2に内分する点に主要被写体を持ってくるといいです」
 
 
 
などと言う言葉を、いちいちありがたく拝聴するわけです。
そしてネットに並ぶ無数の写真の中で、評価の高い写真を作例と信じ
「なるほど、先生の言う通りの構図になっているなあ」と感心するわけです。
   
  
生徒は先生の言うことを「なるほど、すごくためになった」と、ありがたがり
先生も生徒がよく言うことを聞いてくれるので安心できる。
撮影に出かけたり最後の発表会なんかには、先生の言うことがちゃんとできてるかどうか
みんなで見て、そして場合によっては順位が決められます。
誰の目から見ても、うまい人はうまい。
 
 
 
ところで、先ほどの写真教室の言葉とは正反対の場面に遭遇することがあります。
 
 
真っ赤な紅葉の葉。透過光で色鮮やかな一枚の葉を、真正面からズバリ捉えた写真。
 
「これは中心にあっていいんです。日の丸構図ですが、逆にインパクトが出ました」
 
 
人物写真。顔に寄って、顔の輪郭が切れるまで寄って撮られた写真。
 
「人を撮るときは少し横向きで、向いてる側を少し多めに余白取るんじゃなかったですか」
 
 
つまり、習ったことには例外がある。
 
前景・中景・遠景なんて「一枚の絵」にかならずしなきゃいけないわけじゃないし、
露出だってハイキーやローキー表現もある。
 
 
 
「じゃあ、どういうとき日の丸構図はだめで、どういう時はいいんですか?」
 
 
 
私は、写真を教える人はすべて、こういうことを同時に教えなくちゃいけないと思います。
でないと、頭でっかちの人ばかりになってしまう。
 
 
アタマに知識を詰め込むだけになってしまうから
「わーい得した、これで次はうまい写真が撮れるぞー」と思ったものの、実際は
「わかっちゃいるんですけどねー、なかなかうまくできないですねー」となってしまう。
 
 
 
それは教え方に問題があるんです。
写真を教えることは、テクニックを教えることではないんです。
そんな簡単なことさえ生徒に伝えない写真教室の何と多いことでしょう。
生徒はだんだん混乱します。
 
「アタマじゃわかってるんだけど、実際できない」
 
もう一度言いますが、それは教え方が悪いせいです。
もっと言えば、美術教育としての教育、「教える」だけで「育む」ができていないせいです。
 
 
 
 
感性というのは、生徒ひとりひとり異なるもので
撮りたい対象も、それをどう撮りたいかも、ひとりひとり違ってきます。
 
その人のことを知らずに「これはこう撮るべき」なんて言えないはずなんです。
そもそも、そこからおかしいんです。 
 
 
ピントを合わせ構図を定めて撮る、そのことばかり夢中になってしまうと
かんじんのものが写真からどんどん欠落していく。
少しうまくなってしまうと、どこをどれだけ入れようかぼかそうかと夢中になる
それもまた同じ。
 
 
 
 
 
人間ですもの、誉められたいのはわかります。
自分の写真を誉められてうれしくない人はいません。
 
だけど少し待って。
あなたは誉められたい認められたいから写真を撮るんですか?
誰のために撮ってるんですか?
 
 

 
 
  
自己表現として大切なことは
撮りたいものを撮りたいように撮ること。
 
 
だから、かならずしも見た感じのまま撮る必要はないんです。
けれど、あまりに見た感じを誇張し、トーンや彩度や構成の技術で見せようとする
そういう写真がものすごく多くなりすぎたと感じるんです。
 
 
 
「見た感じのまま撮る」なんて、すごく簡単すぎるように思われがちです。
自分の視線の出しようがない、自分らしさが出せない…そう思われがちです。
はたしてそうでしょうか。
 
実際は、自分の知らないうちに、勝手にその写真から気配が出ちゃってるんです。
それはコントロールできない部分で、そこを見る側は感じて勝手に想像しています。

 
 
写真の鑑賞って、そういうところが面白いと思いませんか?
 
 
 
「わあーキレイ〜♪」って言われる写真もいいですが
「う〜ん……美しい…」思わず唸らせてしまう写真って、どう思いますか!?

「わあーカッコイイ写真−」一幅の絵のような額に入れて飾りたい写真もいいですが
「…なんかいいかんじ…」ぽそっとつぶやかせてしまう写真って、どうですか!?
 
 
 
うまさを見せつける写真なんて、見せられるほうはつまんないですよ。
それより「なんかいいかんじ…」をめざしてみませんか。
 
 
  
 
 
ウマイよりイイカンジの写真。…始めると案外、奥が深くて楽しいですよ。
 
興味があるようでしたら、このまま続けます。 
 
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
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追記


ぐだぐだ言われる前にFAQ
 
 
・エラソーなこと言うあんた何者?
 
写真家です。経歴は大学出て写真専門の学校で3年学びました。今はフリーです。
母校で数年間「写真撮影基礎技術」講師をやったほか、写真教室も主宰しました。
最近では再び学生になって美大で美術教育について学びました。
でもこういう個人情報って参考になります?経歴見て「じゃあ信じよう」とか思わないですよ。
気に入らなきゃ読まなくていいんだし、斜に構えて薄目で見ても良し。個人の感覚次第でしょう。
 
 
・あなたの実績は?
 
生徒の数人は、それぞれいろいろ受賞もし活躍しているようです。
輝かしい受賞歴とか、そういうのが無いとこういうこと言っちゃだめですか?
オリンピック選手のコーチは全員オリンピック選手並みに走れないとだめですかね。
 
 
・つまり何が言いたい?
 
代ゼミでもどこでも名物講師って居ますよね。教え方がうまいって人。
写真教育の現場で、そういう人をめざそうかなと。
 
 
写真をやっていくうち、だんだんわけがわからなくなって
そのうち写真自体あんまり楽しくなくなって撮らなくなってしまう…
そういう人を見るにつけ、もったいないなあ…と思うんです。
あまりに自分で自分をがんじがらめにしちゃってる
写真はみんなもっと自由でいいんだよ、…そういうことが言いたいし、伝えたいんです。
 
 

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